相互扶助の精神を重ねた二石の赤石のある庭
創業者である矢野恒太の旧宅が世田谷の相娯園内に記念館として移築保存されて三十余年。明治時代、日本に初めて築いた相互会社による相互扶助の精神は、今回のリノベーションにより、地域に開かれた記念館として装いを新たに引き継がれていきます。
外部のひとを受け入れるように、庭の外周に柵を巡らせないで、繁茂した植物の低い土塁により外部との景観的連続性を指向しています。また、庭も華美に造り過ぎぬよう細心の注意を払い、計画する景石、灯籠、敷石類は全て相娯園内から選りすぐって作庭に用い、地被植物も地場の表土内の種子から得られる山野草の繁茂を加味した庭としています。日常の手入れでは、手作業除草により自然な植生景観を形成・維持するように努める計画です。そのように事業者の思いをかたちに出来たのであれば幸いです。